Select Page

驚愕! 七美に石器工場が存在した!

驚愕! 七美に石器工場が存在した!

澎湖(ポンフー)本島から船でおよそ2時間の離島「七美(チーメイ)」。ここには2つのハートが重なった「ダブルハート石滬」という、台湾のなかでも超有名な観光地があることで知られていますが、七美には考古学的に大変興味深い場所があることを知っている人は少ないでしょう。

それは、新石器時代の石器工場跡です。今回は、石器を大量に生産した後、どのようにして石器を海の外側へと運んでいったのか未だに多くの謎が残る七美の石器工場跡についてご紹介します。

石器工場跡は、一見なにもない道に有り!

石器工場の跡があるのは、七美の港から七美人塚という七美の名前の由来にもなった石塔に向かう途中の右手の細い道です。

それは素人にはただの道にしか見えず、何も言われなければ素通りしてしまうような場所にあります。ですが、道の脇に積まれた石をよく観察してみると、どれもが不自然な形をしていることに気づくでしょう。大きな石の下にある平べったい石…。実はこの石、全て石器なんです!

澎湖(ポンフー)の七美にある石器工場跡

100メートル以上続く道の脇には数え切れないほどの薄く割れたような形の石が積まれており、この全てが石器だというのです。

澎湖(ポンフー)の七美で発見された石器

その証拠は、この石と、石器を作るために使われた丸い石(鴨卵石)。鴨卵石は陸には存在せず、海から拾って持ってこない限り海から離れた場所では発見されることはありません。

澎湖(ポンフー)の七美で発見された石器と鴨卵石

澎湖(ポンフー)の七美で発見された石器を作るための鴨卵石

大量の平たく鋭利な形をした石と、時々発見される鴨卵石の2つが合わさったことで石器だという確証が取れたのです。

一体どのようにして石器を運んだのか?

さらに、ここで作られたと思われる石器が台湾本島からも発見されているというのですから驚きです。

澎湖と台湾の間には「黒水溝」と呼ばれる航海の難所があり、現代的な船ができるまでは遭難の絶えない海域でした。この石器工場は炭素測定の結果4000年前のものだと発覚していますが、そんな時代にどのように海を渡ったのか知りたいとは思いませんか?

人類がいかにして海を渡りアフリカからアメリカへと移動したのかについては、世界中の学者が研究をしています。しかしながら、古代の船は天然素材で作られているため、手がかりが一切残されていないことから、その方法は未だに多くの謎に包まれています。

2016年には国立科学博物館のチームが植物を束ねて船を作り、旧石器時代の航海を再現するテストを実施したこともありますが、失敗に終わったのは記憶に新しいところです(参考:日本人渡来ルートたどる草舟、潮流強く航行中断

七美の人々は石器を作るということだけでなく、航海術にも長けていたのでしょうか。

七美のあちこちに残された石器工場跡

現在、七美では3個所の石器工場跡が発見されていますが、最初に発見されたのは1983年のことです。工事中の道路に薄い石がたくさんあるのに気づいた学者が工事関係者にその石を持ってきた場所へ案内してもらったところ、石器工場を発見したという嘘か本当か分からないストーリーがあります。

その後、2000年に別の学者が再調査をしたところ、「東湖」と「西北灣」という地域でも石器工場跡が発見され、2003年に行われた澎湖の学術研究会で石器工場跡の存在が公表されました(参考:〈南部〉七美石器工廠 列入遺址

残念ながら今回ご紹介した南港以外の石器工場跡は全て保存のために土が被せられてしまったので、当時の面影を残しているのは南港のものだけになっています。

澎湖(ポンフー)の七美で発見された石器工場跡

ちなみに、石器工場跡に残されているのは全て失敗作だとのこと。綺麗にできたものはどこかへ出荷されたようです。

また、石器工場跡に残ってい失敗作の中でも状態の良いものはすでに然るべき学者の手元にあるということなのでご安心ください。とはいえ、珍しいからといって持ち帰るようなことは絶対にしないでくださいね。

まとめ

看板も何もなく、また誰も行かないような場所なので本当に石器工場の跡があるのかと不思議に思う場所ですが、分かる人には分かる大変貴重な場所のご紹介でした。

ちなみに、日本にも同じような場所が伊豆七島の「神津島」にあります。こちらは玄武岩ではなく黒曜石の産地。神津島の黒曜石も海を渡って様々な場所に行っており、未だに多くの謎を残しているんですよ。

ラブポンフーへのお問い合わせと予約は、メール、LINE、お電話で受け付けております。
お気軽にお問い合わせください!

驚愕! 七美に石器工場が存在した! | ラブ ポンフー