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100年前の姿を今に残す高雄關稅局馬公支關

100年前の姿を今に残す高雄關稅局馬公支關

澎湖(ポンフー)のメインストリート「中正路」を海の方に下って行くと、台湾の嘉義や高雄からのフェリーが到着する馬公港があります。観光シーズンにはフェリーの到着時と出航時に汽笛が鳴り響き、多くの旅行者が集まります。しかし、そんな港から1ブロック内側の場所、中正路から港に向かって左側に有る建物に気づく人は多くはありません。この古めかしい建物は日本時代から現在までの馬公港をずっと見守ってくれているというのにも関わらず…。

そこで今回は、時代に合わせてその役割を変化させ、現在は「高雄關稅局馬公支關」つまり高雄の税関の馬公支所となっているこの建物に注目してみましょう。

築100年を越える澎湖で最初の洋風建築

高雄關稅局馬公支關を見た時、きっとこの建物が洋風で、だけどどことなく日本風であることに気付くことでしょう。それもそのはずで、この建物は日本時代に作られた澎湖で最初の洋風建築なのです。

建設されたのは1906年のこと。すでに100年以上も経過しており、2000年には県から古蹟として指定され保護管理されています。

一段と高くなっている部分は展望所で、港湾に出入りする船の監視に用いられていました。外観からは分かりませんが、この展望所を含む建物は、澎湖(ポンフー)の昔ながらの建物と同じくサンゴの石で作られています。奥の方の建物の年代は不明ですが、メインの建物が手狭になってしまったためにレンガで増築されたものです。木材には台湾製のヒノキが使われており、中に入るとヒノキの香りに包まれます。

一段と高くなっている部分は展望所で、港湾に出入りする船の監視に用いられていました。外観からは分かりませんが、この展望所を含む建物は、澎湖(ポンフー)の昔ながらの建物と同じくサンゴの石で作られています。奥の方の建物の年代は不明ですが、メインの建物が手狭になってしまったためにレンガで増築されたものです。木材には台湾製のヒノキが使われており、中に入るとヒノキの香りに包まれます。

時代に翻弄された高雄關稅局馬公支關の歴史

飛行機が今ほど発達していなかった当時は、澎湖は海外と台湾および日本を繋ぐ重要な中継地点でした。そのため、日清戦争の後(1895年)に台湾と澎湖を手に入れた日本は、人と物資が集まる馬公に見張所を建てました。それがこの建物の始まりです。ところで、高雄關稅局馬公支關があるのは港ではなく港から離れたところです。一体なぜこんなところに作ったのでしょうか?

その理由はとてもシンプルで、元々の港は高雄關稅局馬公支關のすぐ目の前にあったからです。今では海側に大きな通りができているので変な気がするのですが、昔は目の前に海があったのだと考えると、ここに建っているのは不思議ではありませんね。

その後、貿易のために税関を設置したところから高雄關稅局馬公支關の本格的な歴史が始まりますが、近代化していくにしたがって貿易の中心地は澎湖ではなく台湾本島にある高雄に変わって行き、馬公にある税関の意義はだんだんと薄れていってしまいます。

最終的に税関としての役割は廃止されてしまい、税関に配属された職員の研修センター兼合宿所になった時期もありました。しかし、施設の老朽化が進み宿泊所としての役割を果たせなくなった現在は、高雄税関馬公支所の事務所として使用されているというわけです。

土曜日は自由に見学が可能

高雄關稅局馬公支關の敷地は土曜日は解放されており、平日でもオフィスアワーなら職員に声をかければ案内をしてもらえます。ラブポンフーが訪問した際には幸運にも職員が話しかけてくれて、内部や裏庭そして高雄關稅局馬公支關の歴史を嬉しそうに教えてくださいました。

門を通って中に入ると左側に建物があり、手前の部分が最初に建てられたサンゴ石造りのものです。奥にあるのが、後に倉庫としてレンガで建設された部分です。どちらも扉や窓にはヒノキが使われており重厚感があります。

100年前の面影

ところで、澎湖の重要文化財の修繕には大きく分けて2つのパターンがあります。1つは一気に全体を修繕する方法で、2017年4月に公開された金亀頭砲台などがそれにあたります。この場合の利点は、一度の工事で修繕を終わらせられることですが、一方で元々の姿を失いがちだというデメリットもあります。

もう1つは必要な箇所だけを少しずつ修繕していく方法で、この場合は都度工事が必要になりますが、建築当時のありのままの姿を残すことができるという利点があります。高雄關稅局馬公支關の場合は、この後者の方法を取り入れているため、見た目は建築当時と全く変わっていません。修繕をする際にも建築時の技術と同じ方法で修理するという念の入れようです。

もう1つは必要な箇所だけを少しずつ修繕していく方法で、この場合は都度工事が必要になりますが、建築当時のありのままの姿を残すことができるという利点があります。高雄關稅局馬公支關の場合は、この後者の方法を取り入れているため、見た目は建築当時と全く変わっていません。修繕をする際にも建築時の技術と同じ方法で修理するという念の入れようです。

密貿易者を監禁していたという部屋

奥の白い扉は防空壕への扉だ

手前の部分は事務所になっているため見学はできませんでしたが、後ろの倉庫には入ることができました。ヒノキ製の立派な扉を開けるとヒノキの香りが漂います。今は何も置かれていませんが、隅に実際に使われていた看板が置かれていました。冒頭で紹介した高雄關稅局馬公支關の歴史を今に伝える貴重な品です。

右手奥には小さな部屋があり、こちらは当時政府の専売だったタバコや酒などを密輸した人が監禁される場所だったそうです。

澎湖(ポンフー)の未来を占う!? 2本のデイゴ

入り口と反対側の扉から倉庫を出ると裏庭になっており、ここには日本時代に植えられた立派な老木が2本あります。それぞれ澎湖で2番目と3番目に古いデイゴの木で、2番目に古いデイゴの樹齢はなんと2017年の時点で115年! そして、この木には興味深いストーリーがありました。

なんでも、毎年春先の2〜3月に咲く花の量によってその年の澎湖の運勢が分かると信じられているそうです。ちなみに2017年は50%の開花率だったそうで、事実、今年の観光客は伸び悩んでいます。来年は満開になるといいですね!

ちなみに木に貼ってある黄色いシートは害虫よけで、根元の白い箱はシロアリを増やさないようにするためのものです。

蒋介石時代の記憶が刻まれたトタン小屋

再び前庭に戻ると隅にトタンで作られた小屋がありますが、こちらは日本の支配から台湾が解放された後に作られたもので、アメリカ軍からの支援物資が一時保管されていた場所です。この小屋をご紹介するために、まず当時の台湾(中華民国)と中国(中華人民共和国)の関係を説明したいと思います。

1912年に中国大陸を「中華民国」として統一した中国国民党は、第二次世界大戦後に中国共産党との戦いに破れた後、1949年に大陸を去り台湾に渡りました。それが現在の台湾の始まりなのですが、それから1960年代までの間は「大陸反攻」つまり中国大陸を自分たちの手に取り戻すための作戦を続けていました。

軍事物資が一時保管されていた小屋

奥の白い扉は防空壕への扉だ

その作戦に必要な物資が送られていたのがこのトタンの小屋で、軍事用の車両などが一時保管されていたようです。こんな掘っ立て小屋では頼りないと思うのですが、このみすぼらしい様子からは、戦争が終わったばかりで物資が不足していた当時のことがしのばれます。

そして前庭から門に向かって左側にある小さなドアは防空壕への入り口です。戦時中は馬公も空襲の被害にあっていたそうです。

現在は市民に親しまれる建物に

なお、高雄關稅局馬公支關に向かって右側にある細長い建物は昔の待合所です。現在は向かい側に立派な待合所ができているため空き家となり放置されています。当時はこのすぐ横に海があったんですね。昔はモスバーガーが建っている場所から先は海だったのです。

このように高雄關稅局馬公支關は時代とともにその役割を変えてきましたが、その姿は1906年に建築された当時からほとんど変わっていません。今では天気のいい日には前庭でピクニックを楽しむ親子でにぎわったり、カップルが結婚写真を撮影するために訪れたりするようになり、昔よりも市民に身近な存在になっているようです。

高雄關稅局馬公支關

高雄關稅局馬公支關

高雄關稅局馬公支關

高雄關稅局馬公支關

  • 場所:澎湖縣馬公市臨海路31號
  • 開放時間:土曜日・または平日午前8時から午後5時
  • 入場料:無料

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