台湾の魅力が詰まった「澎湖(ポンフー)」へようこそ!
台湾の魅力が一ヶ所に詰まった島、それが澎湖(ポンフー)。
澎湖諸島は台湾本島の西50kmの台湾海峡にある島々です。
すべての島を合わせた面積は宮古島より少し小さいくらいですが、それぞれの島の海岸線は複雑で、その総延長は約300kmもあります。
そのため、澎湖は小さい島ながらも、さまざまなビーチがあるリゾートアイランドと言えます。
しかし、澎湖の本当の魅力はビーチではなく、小さな島に台湾の風景・グルメ・文化・人情・歴史がぎゅっと詰まっているという点です。
さらに、世界遺産級の自然や文化がそこかしこに残されているのも澎湖ならではの面白さです。
澎湖諸島の島の数は、大小合わせて90以上。人が住んでいるのはそのうち19島で、人口は約10万人です。
とはいえ、台湾には日本のような住民票がないため、実際の定住人口は5万人ほどと推定されています。
澎湖本島を中心とした5つの島(本島・中屯・白沙・西嶼・小門)は円形になっており、それぞれが橋でつながっているのも澎湖の特徴です。
橋でつなげることで規模を大きくし発展してきたのはとてもユニークなところですよね。おかげで、澎湖を訪れる人々は5つの島を陸伝いで観光できます。
澎湖のいたるところに横たわっている美しい砂浜や青い海は、台湾の人々にとってレジャーやバカンスの絶好のスポットとなっており、日本で言えば沖縄のような存在です。
そのビーチの美しさは世界に認められるほどで、2014年には晴れて「世界で最も美しい湾クラブ」に加盟しました。
また、2011年にはLonely Planetの「The world’s best secret islands」にも選出され、伝統的な台湾文化を感じられるノスタルジックな島として紹介されたんですよ。
世界で最も美しい湾クラブとは?
湾を活かした観光振興と資源保護、そこに暮らす人々の生活様式や伝統の継承、および景観保全を目的に設置されたNGOで、ユネスコの後援を受けている。
加盟条件は、優れた自然の美しさがあること・豊かな生態系があること・経済的潜在力があること・地域と国レベルでの法的保護体制が整っていること・世界遺産の評価基準に準じていることなど非常に厳しい。
国連に加盟していない台湾にとって、ユネスコが後援するNGOに澎湖諸島が加盟できたのは極めて異例で高く評価されるべき出来事だ。
澎湖(ポンフー)は台北から飛行機で約1時間、高雄からだとわずか30分で到着するほど近い場所なのですが、日本ではまだまだ知られていません。
ですが、澎湖の歴史はとても長く、実は台湾本島よりも400年も前から開発が始まっています。そのため、歴史的な古跡がたくさんあります。
台湾でもっとも古い媽祖廟であり、澎湖の首都「馬公」の由来にもなった「天后宮」、樹齢350年と言われるたった1本のガジュマルが作り出した「保安宮」、最も完璧な形で保存されている砲台「西嶼西臺」、200年もの歴史を誇る「漁翁島灯台」など、砂浜のビーチ以外にも見どころはたくさんあります。
澎湖にある寺院の数:198
澎湖にあるビーチの数:31
このページでは、澎湖(ポンフー)がいったいどんなところなのかを知ってもらうために、澎湖の概要についてまとめています。
このページをご覧になり、澎湖にご関心をお寄せいただければ大変嬉しく思います。
澎湖(ポンフー)の自然
澎湖はとても平らな島です。どれくらい平らなのかというと、最高地点がたったの7,000cm!
…はい、70mです。
しかもこれは澎湖本島ではなく望安島の近くにある貓嶼という島の最高地点です。ちなみに澎湖全体の平均高度はおよそ35mです。
それではなぜ、澎湖はこんなに平らな島なのでしょうか?
その秘密は、今からおよそ1,700万年〜800万年前に起こった海底火山の噴火により吹き出した溶岩です。
澎湖群島は安山岩で構成されている花嶼という島を除き、すべて玄武岩で構成されています。この玄武岩を作ったのが溶岩です。
溶岩というとドロドロとしたものをイメージするかもしれませんが、澎湖の溶岩は比較的柔らかい溶岩だったそうです。
そのため、溶岩は広範囲に広がっていき、その後1,000万年以上の時をかけて海風に削られ、今のまっ平らな澎湖群島を作り上げたというわけです。
澎湖を代表する地形の一つが、各地で見られる美しい六角形をした柱状玄武岩です。
これほどに完全な形で露出している柱状玄武岩を見ることができるのは大変めずらしいことです。
学術的には「世界自然遺産の基準を満たしているほど」といえば分かりやすいのではないでしょうか。
ただ大変残念なことに、台湾は国連に加盟していないため、世界遺産には認定されていません。
しかし、もし台湾が一つの国家として認められ、国連に加盟できた場合は世界遺産になることは間違いありません。
現在は、「澎湖玄武岩自然保留區」(1992年3月12日成立)および「澎湖南海玄武岩自然保留區」(2008年9月23日成立)として澎湖縣政府によって管理されています。
澎湖(ポンフー)はこのように独特の地質でできた島ですが、離島ならではの美しい海も忘れてはなりません。
澎湖にはおよそ31ものビーチがあり、そこではスノーケリング、スクーバダイビング、ジェットスキー、サーフィン、カイトサーフィン、SUP(スタンドアップ・パドル)など様々なマリンスポーツを楽しむことができます。
ビーチと一言で言ってもそれぞれ個性があります。遠浅で砂浜がずっと続くビーチもあれば、細かく砕かれたサンゴや貝が敷き詰められたビーチ、岩でゴツゴツしたビーチ、観光客でにぎわうビーチ、誰もいない静かなビーチ、ビーチコーミングが楽しいビーチなどさまざまです。
澎湖に来るならぜひ、お気に入りのビーチを見つけてください。
澎湖(ポンフー)の主なイベント
澎湖では主に観光シーズンとなる4月から9月の間にたくさんのイベントが開催されます。ここでは澎湖を代表する主なイベントについてご紹介します。
旅の計画を練るときには、ぜひこれらのイベントに合わせると良いでしょう。
澎湖国際海上花火節
時期:4月〜6月
場所:観音亭・他
澎湖(ポンフー)で開かれるたくさんのイベントのなかでも特に有名なのが、4月から2ヶ月にわたり開催され続ける「澎湖国際海上花火節」です。
なんと、この2ヶ月間は毎週2回以上花火大会が開催され、オープニングセレモニーには台湾で人気の歌手がゲスト出演するなどとても豪華です。
もともとは2002年の中華航空の墜落事故により観光客が激減し、観光産業が打撃を受けたこと、そして亡くなった方々への慰霊のために開催されたことが始まりでした。
現在では10年以上続きすっかり澎湖の定番イベントとなっています。
元宵節(ランタンフェスティバル)
時期:旧暦1月15日前後
場所:澎湖全体の道教寺院
北東からの季節風が吹き荒れる真冬の澎湖(ポンフー)は、観光に適したシーズンではありません。しかし、澎湖が一年で一番にぎやかになるのは、旧暦1月15日の元宵節なんです!
元宵節には、200近くある寺院のほとんどで何かしらの行事が行われ、数多くの夜市が澎湖中にあらわれて元宵節を祝います。
渋滞知らずの澎湖でも、この時ばかりは渋滞が起きると言えばどれほど賑やかになるのかが分かるのではないでしょうか?
一口にランタンフェスティバルと言うと、巨大なランタンや天燈が大空に昇っていく風景をイメージされるかもしれませんが、澎湖のランタンフェスティバルの主役はなんと「亀」です。
ほぼ全ての道教寺院にお米で作られた亀のオブジェ「米龜(ミーグエ)」が作られ、人々は神様にお伺いを立てる「吃龜(チーグエ)」という儀式を行います。
神様に選ばれた人は米龜を持ち帰り、翌年により多くのお米で作った米龜を奉納する決まりがあり、米龜を受け取った人はその一年は強い運に味方されると信じられています。
ちなみに、このルールだと毎年だんだん米龜が大きくなっていきますよね?
そのため「鎖港」と「山水」という村のお寺ではお米ではなく、なんと純金でできた「金龜」があるんです!
その他、キャベツやソーメン、岩海苔などその土地の名産品で亀を作る村もたくさんあります。
どの村の亀も個性豊かで、様々なイベントが行われているので、元宵節にはお寺めぐりをするのが澎湖の人の楽しみです。
澎湖(ポンフー)の文化
海の上にポツンと浮かぶ澎湖は、現在では便利に暮らせる島となっていますが、飛行機や船のない時代はたいへん不自由な生活をしていたことでしょう。
そんな澎湖だからこそ、先人は自然と共生するために多種多様で独特の文化を作り上げました。ここではその一部をご紹介します。
石滬(スーフー)
石滬とは日本では「石干見(いしひび)」などと呼ばれるもので、潮の満ち引きを利用して魚を捕まえるためのトラップです。
これらは、海の中に石垣を積み上げて作られている世界最古の漁法として知られています。石干見研究の先駆けである西村氏は「漁具の生ける化石」と表現しているほどです。
使い方は非常に単純で、潮が満ちているときに魚をこの石垣の内側に追い込みます(または海藻などを食べに魚が自然に集まってくる)潮が引くと魚は石垣の中から出られなくなるため、その時に魚を捕まえるというものです。
石滬自体は東南アジアやポリネシアに共通する文化なのですが、現在世界で現存する石滬の数は非常に少なくなっていますが、澎湖(ポンフー)には574基もの石滬があり、さらにそのうち約100基は今でも使われています。
澎湖は石滬の密度が世界でもっとも高い地域で、かつ現在でもこれほどの石滬が現役で使われている地域は澎湖にしかなく、研究対象として極めて貴重な存在です。
そのため、澎湖の石滬も玄武岩と同様に世界遺産にふさわしいと言われています。
特に、この石滬が偶然に2つのハート型になった「雙心石滬」は有名で、澎湖でもっとも有名なシンボルとなっています。
現在利用されていない石滬は、有志により修復保護活動が行われています。
菜宅(ツァイザイ)
菜宅とは、畑の周りに建てられた腰の丈ほどの高さの石垣のことで、澎湖(ポンフー)の随所で見ることができます。
実は、澎湖は別名「風島」と呼ばれるほど風の強い島。真夏には風はあまり吹きませんが、冬になると台風なみの風が毎日吹きすさびます。そんな風の島で野菜を育てるためには風よけが不可欠です。
世界には風を避けるために防風林を作る文化がありますが、澎湖は強風のせいで背の高い木はほとんど育ちません。そこで澎湖の人々が風よけとして作ったのが菜宅でした。
澎湖をまわってみると、郊外に廃墟のような石垣がたくさんありますが、これこそが壊れた家ではなく野菜のための家「菜宅」なんです。
現在では澎湖の主要産業は漁業と観光業で、必要な野菜は台湾から買えばいいので菜宅はその存在意義を失っています。ですが、今でも農家や家庭菜園を楽しむ人は菜宅を使っています。
何百年も使われてきた菜宅という文化。菜宅も石滬と同じく保護し後世へ伝えるために活動している有志がいます。
澎湖(ポンフー)の歴史
冒頭でもご紹介したとおり、澎湖には想像以上の歴史があります。ここでは、澎湖の歴史のなかでも澎湖にとって重要な転換期となった部分をピックアップしてご紹介します。
古代
澎湖(ポンフー)の歴史はとても古く、4,500年前にはすでに人が住んでいた形跡があります。しかし、その当時は漁のために一時的に滞在していた人のものではないかと考えられています。
本格的に歴史が始まったのは9世紀〜10世紀に中国大陸から漢民族が定住した頃からです。それ以降、当時の中国に統治されながら歴史が紡がれていきます。
オランダ時代
そして16世紀についに澎湖は西洋世界にも知れ渡ります。ポルトガルの船がやってきて、澎湖に漁師が多かったことから「Pescadores(ペスカドーレ=漁師の島)」と名付けたのです。
それからしばらく経った1622年のこと、オランダ東インド会社が澎湖を武力により占拠。澎湖はオランダの支配下に置かれることとなりました。
さらにその2年後の1624年には台湾全土がオランダの統治下となります。オランダは台湾制圧のために最初に澎湖に拠点を築いていたというわけです。
鄭氏時代
その後37年にわたり、台湾はオランダに統治されましたが、1661年に鄭成功の手によって台湾は鄭氏政権へと移行します。
鄭氏政権は清国により23年間で終焉を迎え、清朝による200年に及ぶ支配が始まります。興味深いことに、オランダも鄭成功も清朝も台湾を征服するための足がかりにしたのは澎湖でした。
日本時代
1895年には下関条約により、澎湖もまた日本の領土化となり日本時代に突入します。現在、台湾では日本時代の建築物が再評価され、リノベーションして使うことが多くなっています。
澎湖にも日本時代のおもかげをはっきりと感じさせる史跡がたくさんありますが、特に篤行十村周辺は日本時代の建物が多く残されています。
現代
そして現代では、観光や環境に優しい島を目指した島づくりがなされています。冬はとても強い風が吹くため、観光客はほとんどいませんが、5月から9月にかけての観光シーズンには大勢の台湾人がリゾート気分を味わいにやってきます。
毎年4月から2ヶ月にわたって開催される国際花火大会やトライアスロン、マラソンなど様々なイベントは人々を魅了し続け、その一方でいかにして観光と環境を両立されるかが問われています。
2014年ごろから澎湖にあった火力発電所は廃止され、風力を中心とした再生可能エネルギーの活用が検討されており、排気ガスの出ない電気バイクの推進など具体的な政策も数多く実施されています。
これから、澎湖はどのように発展していくのでしょうか。澎湖の住民としては、ぜひ環境に優しい素朴な今の澎湖を後世まで残していきたいと思っています。
本当は教えたくない秘密の場所、澎湖(ポンフー)。
いかがでしたか? 台湾にはまだまだあなたの知らない場所がたくさんあります。澎湖もそのうちの一つ。
澎湖には独特の文化や自然にあふれていますが、行ってみたないと感じることができないことも数え切れません。
澎湖のおいしい海産物。あたたかく透き通った海。そして何よりも澎湖に暮らすあたたかい人々…。澎湖に来てみたい! そう思った方はぜひお越しください。澎湖で待っています!